清水果樹園


【チャレンジすることから生まれる楽しみを、みかんに込めて】
清水果樹園 清水雄矢さん

三津浜港からフェリーで約1時間、松山市忽那諸島の中島に清水果樹園はある。
港で出迎えてくれたのは清水雄矢さん。マルシェの時には下駄でカランコロンと音を鳴らして歩く姿が印象的だ。
実は清水さん、その下駄で多くのマラソン大会に出場し、なんとサハラ砂漠マラソンも下駄で走ってしまうほどの強者。他にも下駄で100㎞完走というギネス記録を樹立するなどたくさんのことにチャレンジしている。



○継ぎ手として、つながること、守ること
中島生まれ・中島育ちの清水さん。以前は島外で働いていたが、2016年の夏に島に帰り、実家の果樹園を継ぐことに。お父様は、農林水産大臣賞受賞歴もある、みかんづくりの名手だ。栽培している柑橘は温州ミカンや伊予柑、きよみといった市場に多く流通しているものから、西の香、麗紅といった少し珍しいものまで約13種類とバリエーションも豊富である。

訪れた1月は収穫時期の真っただ中、朝8時から夕方5時まで収穫をしている。トラックにはたくさんのコンテナに入った伊予柑が積まれていた。普段スーパーや青果店ではなかなか目にすることのできない、個性的な形のものやジュースなどの加工品用のものも見せてもらった。以前は農協への出荷がメインだったが、今では対面販売も増えてきた。対面販売では農協ではわからない顧客の反応がダイレクトに伝わるし、こちらもより良いものをつくるモチベーションになるのだそう。

農業の後継者不足は中島でも深刻だ。清水さんは30代だが、周りの農家は後継者がいないところもたくさんある。案内していただいた中島の果樹園の景色はとてもきれいだったが、その景色を守ることの難しさに気づかされた。2.5haある果樹園も、就農当初は、将来1人でやっていくのに十分な面積まで小さくしようと考えていたそうだが、今はできるだけこの面積を維持して景色を守りたいと考えている。「なんとかしないといけないけど、つくっている当人からすると自分のことで精一杯。だからやっている背中を見せてそれについてきてもらえるようにがんばらないといけないですね」(清水さん)。



○新しいことにコツコツ取り組む
清水さんは実家の果樹園を継いで3年目。最初の年はなかなか思い通りにいかず、苦戦していたが、今では自分で考え、いろんなことにチャレンジしながら楽しく農業をしている。その1つが肥料や農薬を一切使わない伊予柑の栽培だ。慣行栽培の伊予柑と比べて、皮が固くて色が薄く、後味がすっきりしている。

無肥料無農薬栽培への挑戦は伊予柑だけではない。畑の伊予柑を伐った後にレモンやライムの苗を植えて無農薬で栽培をする計画もしている。また、苗木の育て方についてもこだわりがある。
「苗木には農薬をかけずに育てたいんです。たとえ農薬をしていなくて葉がうまくつかなくても、その分、根が張ってくれると思うんですよね」

根を張わせるには土づくりが大事。無農薬は草との闘いでもあるが、土がふかふかになるという。実際に清水さんの果樹園に入ると、畑の畝の上を歩いているのではないかと思うほどのやわらかさだった。ほかにも、除草剤を撒いていない畑の草は冬になると自然と枯れて、やがて土にかえるが、撒いている畑は根絶やしにされた後の草が生えてきて冬でも青々としている。農薬をやらないことは、自然の流れに沿った栽培。
「農業は大変なことが多いけど自分でいくらでも付加価値を付けていける。だからこそおもしろいし、もっといろんなことに挑戦してみたいと思います」と清水さんが語るように、まさに農家の醍醐味はそこにあると感じた。

「桃栗三年柿八年」という言葉があるが、柑橘は苗木を植えてから本当に美味しい実ができるまで10年はかかるそう。しかもすべてが順調に育つわけではない。昨年の7月に起きた西日本豪雨により、清水さんのレモン園の一部が崩れる被害を受けた。おいしい実ができるまで10年かかる、加えて災害によるダメージを受ける可能性もある。それでも清水さんは次々と新しい品種・品目に挑戦している。「やってみないとわからない。でもそれが面白いし、収穫したものをどうするのか考えるのがとても楽しい」と清水さんは語るが、実がつくのは何年も先のことなのに、まるで明日にでも実ができてしまうのではないかと錯覚させるほど農に対する想いはエネルギーにあふれており、清水さんの植えた苗木が将来おいしい実をつけるのがとても楽しみになった。

自分の好きなものを植えること、苗の自生力を信じてできるだけ手をかけないこと、その分、土づくりをしっかりすること。何より楽しむこと! 清水さんの研究、チャレンジはまだまだ続く。


清水果樹園
松山市中島大浦3065
http://yuyashimizu.com/

(取材担当:幸田みのり)


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